1.霊の人と肉の人
・人は、生まれつきは肉の人であるが、神の霊を受けて霊の人に変えられるとパウロは言う。
−?コリ2:14-15「自然の人は神の霊に属する事柄を受け入れません。その人にとって、それは愚かなことであり、理解できないのです。霊によって初めて判断できるからです。霊の人は一切を判断しますが、その人自身はだれからも判断されたりしません」。
・肉の人は神の霊ではなく、この世の霊=この世の価値基準に動かされる。この世の価値基準に動かされる時、人は相手を妬み、その妬みが争いを招く。あなた方は未熟のままで成熟していないとパウロは戒める。
−?コリ3:1-2「兄弟たち、私はあなたがたには、霊の人に対するように語ることができず、肉の人、つまり、キリストとの関係では乳飲み子である人々に対するように語りました。私はあなたがたに乳を飲ませて、固い食物は与えませんでした。まだ固い物を口にすることができなかったからです。いや、今でもできません」。
・私はパウロに、私はアポロにと言い張るあなた方は、世の人と同じではないか。どこに神の霊があるのか。肉を殺す=新しく生まれる、今までの生活と訣別することなしに、霊を受けることは出来ないのだとパウロは言う。
−?コリ3:3-4「相変わらず肉の人だからです。お互いの間にねたみや争いが絶えない以上、あなたがたは肉の人であり、ただの人として歩んでいる、ということになりはしませんか。ある人が「私はパウロにつく」と言い、他の人が「私はアポロに」などと言っているとすれば、あなたがたは、ただの人にすぎないではありませんか」。
・アポロとは何者か、パウロとは何者か、神のために働く奉仕者だ。何故、奉仕者を見て神を見ないのか。
−?コリ3:5-7「アポロとは何者か。また、パウロとは何者か。この二人は、あなたがたを信仰に導くためにそれぞれ主がお与えになった分に応じて仕えた者です。私は植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です。ですから、大切なのは、植える者でも水を注ぐ者でもなく、成長させてくださる神です」。
・パウロは教会の開拓伝道を行い、アポロはその後を受けた。パウロとアポロは神の同労者に過ぎないのだ。
−?コリ3:8-9「植える者と水を注ぐ者とは一つですが、それぞれが働きに応じて自分の報酬を受け取ることになります。私たちは神のために力を合わせて働く者であり、あなたがたは神の畑、神の建物なのです」。
2.教会とは何か
・パウロは教会の土台を築いた。アポロはその上に建物を築いた。しかし、土台石になられたのはキリストだ。
−?コリ3:10-11「私は、神からいただいた恵みによって、熟練した建築家のように土台を据えました。そして、他の人がその上に家を建てています。・・・イエス・キリストという既に据えられている土台を無視して、だれも他の土台を据えることはできません」。
・キリストの土台の上に立てられる建物はいろいろある。多様な教会形成がありうる。何が良いかは最後の審判の時までわからない。
−?コリ3:12-13「この土台の上に、だれかが金、銀、宝石、木、草、わらで家を建てる場合、おのおのの仕事は明るみに出されます。かの日にそれは明らかにされるのです。なぜなら、かの日が火と共に現れ、その火はおのおのの仕事がどんなものであるかを吟味するからです」。
・神の霊を受けた者は神の神殿だ。教会の交わりを破壊するとは、教会の人々に天国の門を閉じる行為だ。それは神の神殿を汚す行為であり、神の霊を辱める行為だ。決して赦されない。
−?コリ3:16-17「あなたがたは、自分が神の神殿であり、神の霊が自分たちの内に住んでいることを知らないのですか。神の神殿を壊す者がいれば、神はその人を滅ぼされるでしょう。神の神殿は聖なるものだからです」。
・教会の争いの大半は意に沿わない牧会者が与えられた時に生じる。その時、人はどうすれば良いのか。十字架のキリストにならうしかない。キリストは十字架を与えられたものとして受入れられた。
−ローマ13:1-4「人は皆、上に立つ権威に従うべきです。神に由来しない権威はなく、今ある権威はすべて神によって立てられたものだからです。・・・権威者は、あなたに善を行わせるために、神に仕える者なのです」。
・その権威者、例えば牧師がヒトラーのような独裁者になっても従うのか。パウロの言葉を当時の時代背景の中で考えれば「ローマ皇帝が信仰を捨てよと命令しても、それを拒否しなさい。しかし報復として殺すということであれば、それは受容しなさい」とローマの信徒に勧めている。コリント書とあわせ見れば「彼が教会の建物を建てていれば従いなさい。もし、壊しているのならば、これを拒否しなさい」。